「大人げない」

tessyu2006-07-14

村上's eye


『・・・だが、わたしはジダンのあの馬鹿げた行為に、サッカーの一つの本質を見たような気がした。・・・


サッカーの本質の一つに「大人げない」というのがある。ただし、「子供っぽい」というわけではなく、あくまでも「大人げない」だ。たとえばドリブルで突っ込んでくるFWにGKがからだを投げ出してボールをセーブしようとするときなど・・・サポーターもさまざまな「大人げない」応援をする。・・・


ジダンは、自身の最終戦で最低に「大人げない」反則をやった。だがわたしはそのことでジダンを嫌いになったりしない。極度の集中のなかでジダンの精神はマルセイユの路上や広場で移民の子どもたちといっしょにボールを蹴っていたころに完全に戻っていたのかも知れない。・・・』




・・・スポーツなんて所詮、「大人げない」んだろう。
だって、老成した“老子荘子”にスポーツは似合わない。
子どもも大人もいっしょに夢中になれるというのはスポーツの魅力だ。
戦っている者も、見ている者もいっしょに興奮するのも魅力だ。


中田は確か「一生、走り続けて終わりたくない」と言った。
「大人げない」のもいつまでも続けられないということだ。