ゴータツ兄

あたしには10歳年上の兄ゴータツがいた。
(あたしは6人キョーダイの末っ子で、兄3人姉2人)


ゴータツは58歳、定年直前にガンでなくなった。
今年はあたしが58歳、10年経ったんだと思うと
同時に、なにかしらセツナイ気持ちになる・・・


オヤジは56歳で逝った。
誰もがそれを超えたと喜んだのだが・・・




さて、丁度、ゴータツ兄が亡くなった頃、
あたしが学年主任をしていた時の、
教え子のK田さん(現札教大)。
その母親は
なんと、ゴータツ兄が高校時代の担任だったとのこと。
「初恋の人なんですよ」とも言っていた。
その時はその偶然に驚いたものでした。




現在、あたしが担任をしているクラスに
Hさんという生徒がいる。
中標津のお菓子屋さんの子である。


あたしはゴータツ最後の教師生活をしたのが
中標津高校なので、
何か知っているのではないかと、
娘に「母さんに聞いてみて」と言った。


・・・・・・・・・
そして、
帰ってきた返事である。


(ママ、紹介)


『お兄様の丸山(ゴータツ)先生は、
主人のとなりの組の担任でした。
しかも、
私の姉の担任で、
女子寮で
フンドシを
ぬわされていました。』



注1) ゴータツ兄の最初の赴任先は
    標津高校である。
  後、帯広農校、そして中標津高校。
    中標津と標津は近いようで離れている。


注2) 丸山家では男子はフンドシと決まっている。
    あたしも高校時代にはいたのだが、
    あんばい悪く、軟弱にも
    パンティなどというものをはいたのだ。
    現在はトランクスである。
   
   わがやではあたしも含めて、
   正月やお盆にカーサンから
   フンドシとユカタのプレゼントがあった。
   あたしは、今でもカーサン製作の
   フンドシ
   を持っている。


   カーサンと一緒に暮らしていない
   兄たちはフンドシを
   妻に製作させていた。
   (と思われる)
   標津高校の兄は
   独身だったので
   「ヌワセタ」のだろう・・・

   
   現在ではセクハラか?



しかしながら、
当時、あたしに「暴力はやめろ!」
と言った兄である。


教育のシアワセの時代の
優しい教師であった。