思い通りにならないことが、ありがたい

tessyu2005-02-10

『少年少女の仏教』より

 「思い通りにならないことが、ありがたい」
 「苦」とは思い通りにならないこと。「苦に出合う」ほうが「皺の刻みにも何か深みがあり、豊かさがあるような」人になれるのだ。思い通りに生きた(つまり苦から逃げまわる)人は、つまらない人間にしかなりません。
 「諸法無我」(ゼロの身のわたし)から現在(いま)の「わたし」になったのですから「無量・無数の壽(いのち)はありがたい」これを梵語では「ナムアミダブツ」と言うのです。南無は「アリガトウ」、阿弥陀仏は「無量・無数の壽」です。じいちゃんばあちゃんの「なんまんだぶ・・・」は〈わたしゃゼロの身、生かしてくれてありがとう〉と言ってることになります。
 
 ふ〜ん、なるほど・・・と思いつつ、タコ八郎のこの言葉を思い出した。

なぞのことば「めいわくかけてありがとう」(タコ八郎の墓石に刻まれている)
大阪大学 鷲田清一先生の解説
http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/washida/meiwaku.htm




写真はモズライトを使ってるラモーンズ
(トールさんからいただいた写真)