パッチギ

tessyu2005-08-05

映画館では見れなかった「パッチギ」を我が地下劇場で観た。
なかなかよかたった。涙と鼻がジュルジュルだ・・・
(ところで今日の札幌は気温が33度だ。ここ地下室は温度計では28度だが、足もとがサムイくらいだ)


時は1968年の京都。(映画「69」とも同じころだ。私も高校卒業が69年だし、東大紛争があったり何かと印象深い年だ)
主人公、松山康介(塩谷瞬)は府立東高校の2年生。朝鮮高校生リ・キョンジャ(沢尻エリカ)に恋をする。(沢尻はかわいい!!)
そこから見えてくるものがなかなかスゴイ。
朝鮮人のオヤジに怒鳴られる「オマエは朝鮮人の何を知っているのか!何も知らんではないか・・・」


日本に強制連行されてどんな境遇だったのか。
まるで自分に問いかけられているようだった。


作家の渡辺淳一さんが朝日に「百の理屈より一つの心を」という文章を寄せている。


 「敗戦の年、小学5年生だった私は、戦前、戦後を通じて、日本人と中国人、朝鮮人とのさまざまな接触の経緯を、身をもって見て、体験してきた。戦時中に北海道に住み、親戚が炭鉱町に住んでいたこともあって、彼らに対する過酷な仕打ちをいくつか目撃している。
 例えば、伯父がいた三井砂川の家の裏の川沿いには、強制連行されてきた朝鮮人が寝泊まりする飯場があり、そこでは毎夜、朝鮮人がむちで打たれていると聞いていた。伯父には絶対に行ってはいけない、と言われていたが、ある夕方、友達二人と崖を下りて近づくと、異様なうめき声がし、草むらに隠れて見ると、ほとんど全裸の朝鮮人が、日本人に棒で殴られ、「アイゴー、アイゴー」と謝っているのに、さらに殴られていた。また友人の叔父さんは、中国に戦争に行き、上官に斬れと言われたので、何人も切り殺して来た、と自慢そうに言っていた。当時はみな中国人を「チャンコロ」と呼び、弱虫ですぐ這いつくばるのだ、と教えられていた。
 さらに戦後、そのまま日本に残った在日韓国人には、明らかに差別を行ってきた。これらの人々は日本の一流企業に就職することができず、ほとんどが自由業であることからも明白である。そしていまだに、われわれは婚姻や部屋を貸すに当って、彼らに差別感を抱いている。
 理屈でなんと言おうと、ここに息づいているのはまさしく感情論である。私の知人の45歳の在日韓国人女性は、お母さんから、「絶対、日本人と結婚していけない」と言い聞かされてきたという。
 同じ一つの事件でも、加害者と被害者では、全く受け止め方が違う。第2次大戦中、日本軍は2千万人ものアジアの人々に危害を加えてきたのである。加害者はいやのことは伝えないが、被害者は当事者から子へ、子から孫へ、そして曾孫へと、百年は伝え続ける。
 この間、加害者がどのような理屈で弁明したところで無駄である。それより、曖昧な言葉で逃げず、まず一言「ごめんなさい」と、素直に謝り、態度に示すことである。
 いやと言っても仕方がない。われわれと同じ血が流れている、家族思いで優しかった父や祖父やその上の人たちが、戦争という狂気のなかで、狂人になったことがあるのだから。」